自然に売れるを創り出す
幸せな個人起業家プロデューサー
かみのです。
前回の話しはこちらで読めます^^
【1話目】何一つ続かない、自信のないダメ子
http://www.kaminokeiko.com/officialblog/20170824/
・・・・・・・・・・・
続きです。
そう。大学生のとき、
富良野塾という劇団に出会い
舞台演出のすごさに感動したものの、
その世界に自分なんかが行けると
思うわけもなく、、、
その後、
親に言われるままに地元企業に就職して
受付と総務の仕事してました。
(考えてみれば、、当時の私は
親のいうこと全部YES!!話題になったドラマ、
「過保護のカホコ」状態でしたねw)
でも、その間も
「ここじゃない。違う.他に何かある。
でも何だろう?私は何がしたいんだ?」
そんな自問しながら仕事してました。
(会社にとっては良い迷惑ですよねー
でも仕事はちゃんとしてましたよ!)
そんなとき、事件が起ります。
私の友人が突然、
「私、富良野塾のオーディションを
受けに東京に行く事にした!」
と言い出したのです。
学生のときに一緒に舞台の
ボランティアスタッフしてた友人です。
彼女は本気でした。
なぜか、、、
その勢いに私も便乗して
オーディションに申込をしてしまい。
母には、東京で単身赴任している
父の元に遊びに行くと嘘ついて
東京に出てきたのです。
(過保護のカホコだったので
母が怖くて嘘つきましたww)
私は裏方志望だったのですが、
その時は裏方枠がなかったので
オーディションは役者枠で受けました。
(ダンス、芝居オーディションがあり、、、
超ーーー恥ずかしかった汗)
私は演劇ズブの素人でしたが、
オーディション会場には、、
バリバリ演劇やってます!
って感じの声量の人、美しい人、
カッコイイ人、色々いましたね。。
その時点で
「うん。落ちたな。」
ってすぐに開き直り、
友人と東京でお買い物したりして
ワイワイしてたんです^^
ところが、、、
私の携帯電話が突如鳴って。
『かみのさんですか?
富良野塾マネージャー◯◯です。
おめでとうございます。
受かりました。
詳しくは書類お送りしますので
ご返答ください。
では。ガチャッ。』
、、、、
、、、、
、、、、
うええええーーーー!?∑(゚Д゚)
衝撃すぎて、
どう対応してたのか覚えてません笑
(入塾後、なぜド素人の私を入れたのかと
倉本先生に聞いたら、
「羞恥心なさそうなやつを入れた。」
と言われました。ひどい、、笑)
でも、
いざとなると北海道行くか悩んだし、
当時は過保護のカホコだったので
母が猛反対!でも、、
「今変わらないと一生変われない!」
───────────────────────
と、毎晩泣いて話して大げんかして
母を説得すること一週間。。。
(寝てないなーあの時は、、)
ようやく許可を経て
私はOLを1年で終了し、
富良野へ旅立ちました。
そこで2年間、
全国から高卒〜40代までの
様々な人種が40名集団生活です。
農業しながら演劇やってました。
夜は倉本先生にお稽古してもらって。
月1回の休日、月1万円のお小遣い。
睡眠時間、4時間とか??
若くないと絶対できませんね(^_^;)
でも、これまで経験したことがない
────────────
生きてる実感
────────────
がありました。
毎日本気で泣いて笑って怒って。
あんなに体力的限界はなかったけど、
あんなにキラキラした青春を
経験できたのは奇跡でした。
人間ってどんな生き物かを
リアルに体感できた2年間でした。
(だから倉本先生はすごい脚本が
かけるんだと腑に落ちましたmm)
感謝するってどういうことか
初めて体感できたし。
(過保護のカホコだったのでw)
その後、倉本先生のご厚意で
役者やりつつも、私がやりたかった
舞台美術の仕事をさせてもらいながら、
北海道から九州まで3ヶ月以上
舞台の旅巡業するという経験も
させてもらいました。
ずっと
「何一つ続かない、自信のないダメ子」
────────────────
だった私が、人生で初めて
「夢は自分で実現できるもの!」
─────────────
を体験できたんです。
そして決意しました。
「東京に出て、舞台作る!!」
と。
倉本先生や仲間に感謝して
富良野をあとにしました。
そこから初めての東京。
「東京はこわいもんだ。。。」
という田舎モンの概念が抜けないものの、
勢いで東京に住む
富良野塾のOB,OGに連絡して、
劇団を旗揚げしました。
作演出をなぜか?私が担当して、
1回目の公演は奇跡的に満員御礼で
大盛況でした。
そこで大きな転機が訪れます。
ある芸能事務所の社長さんが
その舞台を観てくださり、
「舞台とても良かったよ!
芸能人使って、舞台やらない?
全面バックアップするよ」
とオファーをくださったのです。
田舎モンの私は、
何十年と売れない劇団で
やっている人たちがいる中、
私はなんてツイてるんだ!!
「夢は自分で実現できるもの!」
────────────────
をますます実感し、
\やりたいことで食べていける!/
と、意気揚々と有名劇団になる
夢を抱いたのでした。
ところが、、
それをキッカケに
恐怖の坂道をゴロゴロと転げ落ちて
行くことになるのでした。。。
次回につづく。
・・・・・・・・・・・
まだビジネス起業まで
全然書けませんでしたね。
すみません(^_^;)
でも最後までお読みいただき
ありがとうございますm(_ _)m
ではまた!
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