自然に売れるを創り出す
幸せな個人起業家プロデューサー
かみのです。
今日は1話目です。
私は社会人になって今年で18年が経ちます。
その内の3年は、1年ずつ違う会社の会社員。
それ以外の15年は、あらゆる職種でフリーランス。
(フリーランスと言えば聞こえは良いが、、、
転々を職種変えながら自分の仕事したり、
しなかったり、放浪したりと色々です^^;)
自分で言うのもなんですが、
よくここまで生きて来れたなと言う気もします。
今日は初回なので、
幼少期から社会人になる前までの
話しをしたいと思います^^
私は山口県出身です。
生まれてから大学でて
社会人1年目までずっと地元にいました。
(ああ、これでもう年齢バレますね汗)
◆幼少時代
こうみえて?
小さいときから周りに気を使い
ビクビクして人に合わせる子でした。
(見た目からは全然そう思われませんでしたが。
逆に図太い子に見られてたようですケド笑)
でも。
ずっと、人にビクビクしながらも、
わたしは何のために生まれたのか?
これからどう生きていくべきか?
と自分が何者かということに
対して小さいときから過敏な子で。
内側で悶々と悩むタイプでした。
◆小学時代
小学生のときはいじめにあってましたねー。
(注;いじめっ子ではないです。
いつもオロオロしてたし、根暗だったし。
崖から落とされて怪我したりとか。
小学生であだな、「ババア」でした笑)
絵を描くのが好きな子でしたね。
◆中学時代
ところが一転!
中学は生徒会副会長へ。
って言っても、
決して優等生だったわけではなく、
オモシロ半分で同級生が推薦して、、
笑われて票が集まり当選しました笑
部活はバスケ部。
(ヘタクソでスタメンになったことない。
いつもさぼる事を考えてたしww)
◆高校時代
高校受験は連続失敗。
一番行きたくない志望外の高校に
泣く泣く入り、なぜか弓道部に入る。
実は、
そこの弓道部が全国大会で優勝する
伝統校とは知らず、
友達に誘われるまま見学に行ったが最後、
先輩が怖くて抜けだせずそのまま入部^_^;
コツコツ裏方もしてたからか、
そのままなぜか主将にされました。
力も徐々につけてきて
県では個人でも団体でも
何度も優勝してた、、、
のに!
1本差でインターハイ出れなかった(T T)
20年以上経つのに、いまだに
「かみの!おまえの代だけ前代未聞だ!」
と当時のコーチ言われる始末ですm(_ _)m
◆大学時代
まあそんなこんなで、
弓道トラウマになり、
さらに医療系の大学推薦も落ち、、
高校の美術の先生に、
「かみのさんは絵の才能がある。」
と言われたのを真に受け、
急遽、絵を描き始め
地元大学のデザイン科にスレスレ合格。
弓道部に入ろうかと思ったが、
弓道トラウマが疼き、、
やめて再びバスケに戻る。
でもバスケも思うように続かず、、、
、、、、とまあ、
何一つ続かない、
ビクビク自信のない
ダメ子だったんですよね。
「自分は幸せになれない。
成功できない人間だ」
という思い込みを最高に強化した
幼少から大学時代ですねww
今でこそ、周りの人からは
「かみのさんは、芯があって
ブレなくて強い人ですね。」
と言われますが、
当時はぜんぜん真逆です。
外見はそう見えてたかもだけど、
内側はガラスのハートが
パリンパリンと割れまくってました。
でも、
そんなビクビクな私に転機がおとずれます。
ついに、大学時代に出会ったんです。
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「演劇」という出会い
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正しくは舞台演劇にですが。
それまで1ミリも舞台演劇に
興味がなかったんですが、
大学4年のとき、
富良野塾という劇団が
山口公演に巡業できていました。
(注:ドラマ「北の国から」の
脚本家、倉本聰先生が主宰の演劇集団です。
現在は閉塾してます)
たまたま大学の掲示板に書いてた
舞台ボランティアをみつけ
お手伝いに行ったのがきっかけでした。
その舞台を初めて観て、、、
感動して号泣しました。
何かを見て心が震える経験は初めてでした。
終わって打ち上げのときに、
スタッフさんや役者さんに
「かみのさん、富良野塾においでよ!
僕らの仲間になろうよ!」
って言ってくれて。嘘でも嬉しかった。
当時の私は北海道で演劇するなんて
夢物語だわーって思ってました。
でも、まさかその2年後、
本当に富良野塾に入るとは
思ってもみませんでした、、、
次回につづく。
(続きはこちらから読めます)
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